【不登校】再び別室でのテスト、そして・・・

不登校
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3月に入り、適応指導教室へ順調に登校する妹と家から出る気配のない姉。


中学3年の始業式まであと1カ月です。


この1カ月で何か変化が起きるのだろうか。


まずは妹ですが、今度は中学校で実力テストがあります。


先日は別室ながら定期テスト全教科を受けてくるという親もビックリな出来事がありましたが、今回の定期テストは『この前一緒にいた男子がいるからイヤだなぁ』とは言いながらも『今回はできるだけ遠くに離れる』と本人は普通に受ける気でいるようです。


妹と嫁がそんな会話をしていても、近くにいる姉は全く意に介さず一人”IPOD”の世界に入り浸っております。


姉はたぶん中学3年になるまでは学校に行くつもりがないのでしょう。


そして妹が復学するようであれば自分も行く、このまま何も変わらなければ自分も変わらない。


そんな風に自分の中で決めているような気がします。


逆に考えると、行こうと思えばいつでも行ける・・・


私の目にはそのように見えていました。


やはり我が家で今大事なことは、妹がこのままの調子を維持してくれることなのです。


中学生活がどのようになっていくのかは始業式に懸かっていると言っても過言ではないと思います。


『学校に戻れたらいいな・・・』という希望が膨らんできた頃です。





『学校に行ってほしい』


長男が不登校になったとき、24時間ずっと自分の頭の中はそれだけで一杯でした。


しかし親が『学校に行ってほしい』という気持ちを隠しながらも持っていると、親の表情・雰囲気・言葉・態度・空気などから子供は親の心の内を読み取ります。


いや、自然と伝わると言うべきでしょうか。


子供は親の期待に応えることができない、親に辛い思いをさせている・・・と自分を責め、苦しみます。


親の目にはそう映らなくとも苦しんでいるのです。


子供は現実の苦しさやストレスから逃げる為にネットやゲームに夢中になります。


あるいは別のいろいろな形で発散したりします。


自分の精神を保つための行動なのでしょう。


そんな子供を見て親は『なんでゲームばかり、ネットばかりやっているんだ。学校に行ってほしい』


負のループです。


その負のループから抜け出すには親が変わらなければいけないと思うのです。


怒鳴っても殴っても子供が自ら変わることはありません。


もしそれで変わったならば変わったのではなく親のエゴによって変えられたのです。


何よりも大事なことは子供がストレスなく安心して家に居れること=親が『学校に行ってほしい』という願いをなくすことなのです。


ネットでの情報やいろんな本に書かれていて頭では理解できていたのですが『学校に行ってほしい』のに、そう思ってはダメ・・・という矛盾したアドバイスを初めは受け入れることはできませんでした。


学校に行ってほしくて何件もの病院に行き、教育センターや個人のカウンセラー、不登校の会にも行きました。ネットで不登校を治すプログラムの資料も取り寄せました。


まさに【溺れるものは藁をもつかむ】でした。


しかし学校に行けなくなってから3日、1週間、1カ月と節目が過ぎるごとに『学校にいってほしい』という希望の気持ちがいつの間にか『学校には行けない』という諦めの気持ちに変わっていきました。


部屋から出てこない、ご飯も食べない・・・


3日間くらい顔を見ないことはザラでした。


そして長男が嫁にLINEで『自分が生きているか死んでいるのか分からない』と送ってきたのを見て、初めて学校より命のほうが大事なんだということを心の奥底まで刻み込まれました。


気付かされたのです。


そこまで追い詰められないと自分は変わることができなかったのです。


その出来事があって心の中の『学校に行ってほしい』という気持ちが消え去りました。


元気で生きてくれているだけでよい、学校の勉強やスポーツなんてどうでもよい・・・昔のように笑いながら話したい。


それだけを願うようになりました。


それから長男は徐々に回復の道を歩むことができました。


これはあくまでも我が家で経験したものなので、全ての不登校に当てはまるわけではありません。


このような経験をしてきたので双子の姉妹には『学校に行ってほしい』ではなく『学校に戻れたらいいな』という気持ちでした。


こんな気持ちになることができたのは長男と同じようにどん底まで落ちた妹が元気になってくれたからです。


2度の不登校を通して得たことは 【学校へ行く⇒元気を取り戻す】という順番ではなく【元気を取り戻す⇒学校へ行く】なのです。


『まずは子供が元気になる』これが最優先なのだと思います。





話しは戻りますが、妹が自ら受けるといった実力テストも別室でしたが何の問題もなく全教科をしっかり受けてくることができました。


また一つの壁を乗り越えることができました。


その次の日に妹が通っている適応指導教室で保護者面談というものがあって、嫁が伺いました。


先生とのお話では『娘さんはだいぶ元気になったし学校にも別室とはいえ行くことができているので、もしかしたら学校に戻れるかもしれませんね。』と言ってくれたそうです。


自分と嫁もうっすらとは思っていましたが、経験豊富な先生がそのように思ったということは妹の様子や雰囲気から感じ取ったのかもしれません。


中学2年最後の実力テストを自らの意思で受けることのできた妹は、その後も適応指導教室を休むことなく元気に通学しました。


姉は週に1度学校にいくペースです。


そして中学2年の終業式が迫ってきました。


初めは2~3日休んだら戻れると思っていた学校には、結局1年ちょっと行くことができませんでした。


『大変な1年だったな・・・』


終業式を前に改めて激動の1年だったことを痛切に感じました。


まさか長男に続いて2回目の不登校を経験するなんて夢にも思っていませんでしたから・・・


とりあえず嫁も自分も精神的に辛くなることが多かったですが、頑張ったなと。


それこそ【自分で自分を褒めたい】ですよ(笑)


『これからもまた頑張っていこう・・・』


そんなことを思っていたら突然来たのです!!


終業式を目前に、とうとう妹が動いたのです!!



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