週初めの月曜日に妹が学校を休んでしまいました。
明日は普通に行けるだろう、と思っていましたが、心の奥底では長男が不登校だった時のトラウマで『まさか、不登校になんてならないよな・・・』という不安な気持ちが渦巻いていたと思います。
嫁も『ま、大丈夫だと思うけどね。』とは言っていましたが、たぶん自分と同じ気持ちを持っていたのではないでしょうか。
『明日の朝は明るく ”おはよう” って起きてきてくれないかなぁ』という期待と不安な気持ちを抱えたまま就寝します。
しかし次の日の朝、妹は泣いて起きてくることができなかったのです。
良くない方向へ向かっていることだけは間違いないのですが、2~3日ゆっくり休ませれば気持ちも収まるはず。
しかし、家にいるときの妹の表情というか顔色が良くないのが親の不安を増強させます。
長男の不登校の経験から、3日休んでも学校に行くことができなかったら”黄色信号”、1週間休んで行けなかったら”赤信号”、本格的な不登校に突入してしまうというイメージを持っていたので、自分の心の中では ”3日” 過ぎたら覚悟をを決めようという気持ちでいました。
そして3日目、やはり学校に行くことができなかったのです。
長男の時に『学校に行かせようとするのは良くない』と勉強したはずなのに、また同じ状況に置かれてしまうと行ってほしい気持ちでいっぱいになってしまうのです。
自分ってなにも成長していないんだなぁ・・・と自己嫌悪に陥りましたよね。
唯一、妹に向かって『学校に行こう』とは言わないものの、心の中では『明日は行ってほしい・・・』という願いしかありませんでした。
その日、嫁から『なんか、自分の手腕にペンで傷を書いているみたい。部屋に顔そり用のカミソリがあるし。』という報告を受け、なにかとネガティブな感情を持ちやすい妹なので、変な刺激だけはしないよう気を付けることにしました。
長男の時はなかった自傷行為なのでしょうか。
さすがに怖くなりました。
次の日、自分が会社に行くまでは起きていませんでしたが、おじいちゃんに迎えに来てもらい学校の近くまで送ってもらったそうです。
しかし、学校に行けずに歩いて帰ってきたとのこと。
自分も嫁もその話を聞いて『よく近くまで行ってきたね。頑張ったね』と声を掛けることしかできませんでした。
これで自分の気持ちはほぼ固まりましたね。
また【不登校】の日々が始まる・・・いや、もう始まっていると。
妹は終日元気がなく、気力というものを全く感じることができません。
そして今度は部屋に包丁を並べていたようだ、ということを嫁から聞きます。
友達と離れてしまった事?学校に行けなくなってしまった事?
何に対しての行動なのかが全く分かりません。
ただ、なんとなく感じるのは『今、自分はこのくらい辛いし苦しい』という感情を知ってほしいのだなと。
妹なりの『助けてほしい』の表現なのだと理解しました。
その後、自分を傷つけようというする行為・表現はなくなりましたが、相変わらず学校に行ける気配は全くありません。
そして週が明け、学校に行けなくなってから1週間が経ちました・・・
朝、起きる気配もなく、やはり今日も学校には行けないようです。
1週間という最後の区切りで行けないってことは、もうしばらくは行けないということ。
僅かながら期待を持っていましたが、もう無理なようです・・・
長男が復学したときは、『もう二度と経験することがないだろうな』と思っていたので、また同じ苦しみを味わうのかという絶望感ですよね。
兄弟姉妹で不登校という話をよく耳にしていましたが、まさか家もか・・・ですよ。
ま、なったものはしょうがない。
また、前向きになんとか頑張ろう。久々の重い気持ちで会社に向かいました。
そして会社での昼休みに嫁からラインが届きました。
『実は、姉も朝起きたらお腹が痛いって今日休んだんだよ』
え?休んじゃったんだ。
なにか、とても嫌な予感がしたのです。
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