妹が適応指導教室にサインをして戻ってくる、ということが1カ月程続いていたある日、学校に行けなくなった原因である友達との食事でその場にいた一人の友達と、スポーツクラブに通う計画を立てていることを知りました。
他の二人とは連絡は取っていませんでしたが、その友達とは連絡を取り合っていたようです。
器械体操部に所属していたので、そろそろ身体を動かしたくなったきたのでしょうか?もしかしたら本当は部活に行きたいのか?
ま、どんな理由であれ自らの意思で行動しようとすることが親としては嬉しかったです。
この頃の姉はといえば、なんの進展もなく週に一度登校するかしないかの状態。一時期精神的に落ちるところまで落ちてから徐々に回復している妹と違い、長い期間ずっと平行線の状態です。
長男、そして妹は違う原因ながら『学校に行けない』精神状態に゛なってしまった゛のとは違い、明らかに自分で行かないことを選択しているように思えます。
なので、自分も嫁も『皆同じように接しなくてはならない』と頭に思い込ませてはいるのですが心のどこかで『二人とは違う。自分でスイッチを切っているだけ』と思っていたのが本音です。
妹が学校に行くことができれば、自分の中で家にいる理由がなくなるので絶対に通い始めるはず・・・と。
なので妹と同じように接しているつもりでも、どこか違っていたのだと思います。
ある日、嫁が休みの日に作った昼食に姉が文句を言ったことがありました。
たしか『そのメニューは嫌だ』とか『いつも同じだし』的な感じだったと思います。
それに対して嫁が『そんなに家のごはんが嫌だったら学校に食べに行け!』とキレたのです。
いつも我慢をしていたのですが、さすがに我慢できなかったのでしょう。
すぐに会社にいる自分にメールが届きました。
『あまりに頭にきて怒ってしまった・・・ごめんなさい』と。
自分も嫁の気持ちが分かるので『しょうがないんじゃない?そういう事も必要だよ。』と答えました。
すると次の日、姉は自分で昼食のうどんを作って食べたのです。
さらに次の日は料理のお手伝い!!
ちょっと可愛いなと思ってしまいましたね(笑)
子供への言葉は自分の頭の中で整理してからストレスを与えない伝え方で・・・と心掛けていましたが、感情が先だってしまった言葉でも結果オーライのことがあるのだなと初めて思った日でした。
でも一歩間違うと振り出しに戻ってしまう危険性もあるので、自分も嫁も改めて気持ちを引き締めたのです。
そんな10月のある金曜日、突然その日はやってきました。
妹が制服を着て適応指導教室に登校したのです (≧▽≦)
およそ9か月ぶりの制服姿 ( ノД`)シクシク…
そしてなんと姉もその日学校に行き、部活動までやってきたのです!!
この日、自分は久しぶりにストレスのない1日を過ごしたことを今でも覚えています。
なんて幸せなんだと。
子供が元気で学校に行く・・・
世の中の多くの人にはいつもの日常ですが『当たり前の生活っていいものだな』と心から思いました。
『学校だけが全てではない』と心に言い聞かせながら『いつか元気に学校に行けたらいいな』と思い描いたことが現実になったのですから。
妹はまだ適応指導教室という段階でしたが、我が家にはそんなことは全く関係ありませんでした。
普通の幸せを心から感じた、思い出の日になったのです。
コメント