15:00くらいになると3つ年上の姉が学校から帰ってきました。
3つも離れていると姉弟の学校での行動などほとんど知りえませんが、学校の先生に何かを聞かれたりしていないか?と思い『もし、休んでいたことがバレていたらどうしよう・・・』と、とてもドキドキしていたことを覚えています。
姉が何も言ってこないところをみると、自分が学校に行っていないことはバレていないようです。
そして夕方になると母親が、夜には父親が帰ってきます。
家族には自分のことがバレないよう『とにかくいつも通りにしていなければ・・・』ということで頭の中はいっぱいでした。
夕飯はいつも家族全員で食べる我が家でしたが、自分は何か居心地の悪さを感じていました。
家族に嘘をついている自分が嫌だったのだと思います。
食べながらも心の中で『親に相談すれば、解決してくれるのかな・・・』ということが頭をよぎりますが、そんなことを言い出せるほどの勇気はありませんでした。
夕食を食べ終え、お風呂に入ると寝る時間がやってきます。
学校には行かなくとも朝には学校へ行く”フリ”をしなければならないので、時間割を見て自分には必要のない教科書の準備をします。
準備が終わり布団に入ります。『明日の朝はどうやって家に戻ってこようか・・・』
そんなことだけを考えるので全く眠りにつくことが出来ません。
それでも、自分の中に ”学校に行く” という選択肢だけはありませんでした。
正確には ”行かない” というよりも ”もう、行けない” のです。
親に無断で学校を休んだことは自分にとって ”親への最大の裏切り” と自覚していました。
でも、学校には行けないのです。
翌朝、重い気持ちを引きずりながら起き ”学校へ行くフリ” をするために朝食を食べ家を後にします。
『今日はどうやって家に帰ってこよう・・・』
学校の方向に歩いている時はいいのですが、家の方向へ引き返さないといけないので人気のない小道に入り、タイミングを見計らって学校へ背を向け自宅の方向へ向きを変えます。
当然学校へ向かう生徒たちとすれ違うわけですが、忘れ物をしたような雰囲気を出しながら急ぎ足で家の方向へ小走りで進み、隠れ場所である資材置き場へ向かいます。
そしてまた母親が会社に行ったことを確認すると自宅に戻るのです。
これをずっと繰り返していました。
やってはいけないこととは分かりつつ、もう元に戻る術はありませんでした。
誰かに助けてほしい・・・元に戻りたい・・・。
でも、どうすることもできませんでした。
自分が学校に行ってないことは家族の誰も知らないことだと思っていましたが、後で聞いた話によれば学校の担任が親に連絡をくれたのはしばらく経ってからのようでした。
親は、その事実を知ってからも自分には何も言わずいつもと同じように接してくれていました。
当然子供の自分は学校に行ってないことを知られていないと思い、ずっと演技をしていたのです。
学校に行けなくなってから『これからもどうすれば良いのだろう』『友達は自分のことをどう思っているのだろう』考えれば考えるほど不安で心が苦しくなります。
自分も苦しく辛い期間でしたが、親も大変だったと思います。
それでも親は心配する素振りを全く見せることはありませんでした。
自分が学校に行けない状態は1ヶ月程続きました。
そんなある日の夕食の時間、父親が話しかけてきました。
『なんか悩んでいることないか?』
それから止まっていた時計が動き始めたのです。
【不登校】私の不登校経験④

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