【不登校】私の不登校経験⑤

不登校
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父親からの『何か悩んでいることはないか?』


普段、学校の事にはあまり興味を持っていないような父親の突然の問いかけに驚きましたが、その一言は自分が学校に行っていないことに向けての言葉だとすぐに理解できました。


自分は直感的にこのチャンスを逃すと元に戻れない・・・と感じたのです。


学校に行けなくなってからずっとこの瞬間を待っていたような気もします。


自分は何の迷いもなく父親にこれまでの経緯と出来事を伝えました。


『クラスに暴力的な振る舞いをする友達がいて、それが嫌だった。自分だけにやるわけではなくほかの友達にもやっていたけど、皆は何も言わずに過ごしていた。』


『みんなが家を出てから学校に行かずに戻ってきていた。』


父も母も黙って話を聞いてくれました。


全てを話し終えると父親が『分かった、明日その子の家に行って話し合ってくる。もう心配しなくていいから。』と言ってくれたのです。


この先どうなるかは分かりませんでしたが、父親の『もう心配しなくていいから』という言葉で心から安心したことを覚えています。


それと親にずっと噓をついていた心苦しさから解放され安堵したのです。


『これからどうなるんだろう・・・。自分は学校に行けるのだろうか?』という不安な気持ちはありましたが、親が何とかしてくれることを信じるしかありませんでした。


その日は心配なことから解放され、久しぶりにユックリと眠ることが出来ました。


翌日は家族が了解のもと学校を休ませてくれました。


そしてその夜、いつも会社から帰ってくる時間より遅くなってから父親が帰ってきました。


どんな結果だったのかと期待と不安な気持ちが交錯します。


父親は着替えてからテーブルに着くと『相手の家に行って話してきたから座って話ししよう』と言いました。


自分と母親がテーブルに着くと話し始めました。


『相手の家に行ってお父さんと話し合ってきた。お前の言ったことを伝えると「本当に申し訳ありません」と何度も謝られた。子供には二度としないようにしっかり伝えますと言ってくれたからもう心配しなくて大丈夫。明日から学校に行けるか?』と言ってくれました。


学校に戻るきっかけが欲しかった自分は間髪入れず『うん』と答えます。


とても嬉しかったことを覚えています。


本当は学校に行きたいのに行けなくなってしまったのですから・・・


その後、家族みんなで夕食を食べながらの会話の中で、相手の親との話し合いの様子を父親が教えてくれました。


今回の出来事を相手のお父さんに伝えると、家で犬を飼っていて子供がその犬に暴力を振るうようになって心配していたということを教えてくれたそうです。


今考えると暴力を振るってきた友達も、思春期という多感な時期でもあり何らかのストレスを抱えていてそれが”暴力”という形で表れていたのかもしれません。


友達は友達なりに苦しんでいたのかもしれないです。


ま、やられる方にとってはいい迷惑でしかないのですが・・・


夕食の時間も終わり、お風呂に入ってから久しぶりに”授業を本当に受ける為”の学校の準備をしました。


学校に行けなかった期間は1カ月程。


明日から学校に行くことを考えると、友達がどんな反応をするのか急に不安になってきました。


これまで通りに接してくれるのだろうか?


いろんなことを聞かれるのではないか?


考えれば考えるほど不安が大きくなり緊張感も増していきます。


でも、学校に戻れるという嬉しさもありました。


期待と不安を持ったまま明日の登校に備え早めに就寝しました。





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